テンプレート:Infobox Musician シェリル・スザンヌ・クロウ(Sheryl "Suzanne" Crow、1962年2月11日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州ケネット出身のカントリー&ウェスタンを中心にしたシンガーソングライター、レコード・プロデューサー、女優である。身長161cm。マイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンなどの作品への参加を経て、1993年にデビュー。4,000万枚以上のレコード・セールスを記録し、これまでに9回に渡ってグラミー賞を受賞している。
来歴[]
弁護士の父親とピアノ講師の母親の間に誕生。5歳の頃からピアノなどを習い始め、大学在学中にはカシミールというバンドでキーボーディストとして活動していた。大学卒業後は小学校の教師として音楽を教えていたが、1986年に、自らの音楽への夢を追うため、カリフォルニアに移住する。翌1987年のマイケル・ジャクソンのコンサート・ツアー「バッド」(BAD)でのコーラスを務め、ツアーの一環で同年9月から10月にかけて来日もしている。その後、ロッド・スチュワートやドン・ヘンリーなどのレコーディングへの参加やエリック・クラプトンへの楽曲提供などを経て、A&Mレコードと1990年に契約する。
当初は、1991年にソロ・デビューするはずだったが、「大衆受けする要素に欠けている」という理由で、レコード会社から発売を無期延期される。1993年、ビル・ボットレルがプロデュースを手掛けたアルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』(Tuesday Night Music Club)で、ようやくソロ・デビュー。このアルバムは、全世界で700万枚を超えるセールスを記録。同作収録曲の「オール・アイ・ワナ・ドゥ」(All I Wanna Do)は全米ビルボードチャートで最高2位まで上昇する大ヒットとなり、1994年の第37回グラミー賞ではレコード・オブ・ザ・イヤーおよびベスト・フィーメイル・ポップ・ボーカル・パフォーマンスを受賞し、クロウ自身も最優秀新人賞に輝いた。
次いで1996年に発表された、自身の名を冠したセカンド・アルバム『シェリル・クロウ』(Sheryl Crow)も大ヒットを記録し、1997年度のグラミー賞で二部門(女性ロック歌手賞、ロックアルバム賞)、英国のブリット・アワードでも一部門を受賞した。以降、クロウは同賞のノミネート常連として、現在までに9回受賞している。1995年に、ソロ初の来日公演を行い、以降プロモーションやシークレット・ライブを目的としたものを含め6回(うちツアーでは3回)来日している。
1997年、サラ・マクラクランが提唱した女性主導型のライヴイベントである「リリス・フェア」に参加(1998年、1999年にも参加。2010年の復活ツアーにも参加予定)。
1998年にサードアルバム『グローブ・セッションズ』(The Globe Sessions)をリリースし、1999年度のグラミー賞で二部門受賞。
1999年、ニューヨーク・セントラルパークにてコンサートを行う。その模様は『ライヴ・フロム・セントラル・パーク』(Sheryl Crow and Friends: Live from Central Park)としてリリースされた。またこのコンサートは多彩なゲスト陣(盟友でもあるディクシー・チックス、サラ・マクラクラン、クリッシー・ハインド、スティーヴィー・ニックス、かつての交際相手エリック・クラプトン、そしてキース・リチャーズ)が話題となった。
2002年に4枚目となるアルバム『カモン・カモン』(C'mon C'mon)をリリース。この作品は日本ではオリコンアルバムチャート最高位9位と大ヒット。日本公演を収めたライブ盤『Live at 武道館』も日本のみリリースされた。翌年のグラミー賞ではシングル 「スティーブ・マックイーン」(Steve McQueen)で女性ロック歌手賞を受賞。 またこの作品でも多彩なゲスト(ドン・ヘンリー、レニー・クラヴィッツ、エミルー・ハリス、スティーヴィー・ニックス、リズ・フェア、グウィネス・パルトロウなど)が話題に。
さらに、この頃、楽曲の良さよりもビジュアルの良さを重視するようになった音楽業界に嫌気が差して鬱病になり、引退を考えていたということも告白している。 このアルバム発売以降、シェリル自身もセクシーさを強調した服装でミュージック・ビデオや公の場に出ることが多くなる。
2003年、『ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ』(Very Best of Sheryl Crow)をリリース。シングルカットされた「ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト」(キャット・スティーヴンスの曲のカヴァー)はラジオでパワープレイされ、爆発的な人気を得た。彼女のラジオでの最大のヒット曲となり、米国のエアプレイチャートで1位を獲得。Billboard Hot 100に36週にわたってチャートインして、プラチナディスクに認定され、Billboard Hot 100では最高14位に達した。2003年、2004年のアメリカン・ミュージック・アワードにおいても最優秀女性ロックアーティスト賞、2005年ピープルズ・チョイス・アワードでも最優秀カヴァー賞を受賞。
2005年、5枚目のアルバム『ワイルドフラワー』(Wildflower)をリリース。
2008年(日本先行発売日は1月30日)に『ディトアーズ』(Detours) を発売した。
レッド・ツェッペリンの大ファンであり、日本武道館での公演でカバーしたこともある。 2010年3月、ジャクソン・ブラウンとのジョイント・ツアーで来日公演を行う(金沢公演はクロウのみ)。
私生活においてはエリック・クラプトン、オーウェン・ウィルソンなどとの交際を経て、自転車選手のランス・アームストロングと婚約していたが2006年2月に破局。同月には乳癌の手術を受けていたことも分かった。 2007年5月、生後2ヶ月の乳児を養子にした。
アルバム・ディスコグラフィ[]
詳細はシェリル・クロウの作品を参照
- チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ - Tuesday Night Music Club (1993年)
- シェリル・クロウ - Sheryl Crow (1996年)
- 収録曲の「Love is a Good Thing」の歌詞に「ウォルマートで買ったおもちゃのピストル」というフレーズが子供達の暴力行為を助長するとして、全米のウォルマートではこのアルバムは発売されなくなった
- グローブ・セッションズ - The Globe Sessions (1998年)
- 地球と一体化しているという意味の造語
- ライヴ・フロム・セントラル・パーク - Sheryl Crow and Friends: Live From Central Park (1999年)
- カモン・カモン - C'mon C'mon (2002年)
- Live at 武道館 - Live at Budokan (2003年) 日本のみのリリース
- ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ - Very Best of Sheryl Crow (2003年)
- オール・アイ・ワナ・ドゥ
- ソーク・アップ・ザ・サン
- マイ・フェイヴァリット・ミステイク
- ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト(アルバム・ヴァージョン)
- エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード
- リーヴィング・ラス・ヴェガス
- ストロング・イナーフ
- ライト・イン・ユア・アイズ
- イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー
- ラン・ベイビー・ラン
- ピクチャー(キッド・ロック・デュエット・ヴァージョン)
- カモン・カモン(コアーズ・ヴァージョン)
- ア・チェンジ・ウッド・ドゥ・ユー・グッド
- ホーム
- ゼアー・ゴーズ・ザ・ネイバーフッド
- アイ・シャル・ビリーヴ
- レッツ・ゲット・フリー
- ワイルドフラワー - Wildflower (2005年)
- アイ・ノウ・ホワイ
- パーフェクト・ライ
- グッド・イズ・グッド
- チャンセズ・アー
- ワイルドフラワー
- ライフタイムス
- レター・トゥ・ゴッド
- リヴ・イット・アップ
- アイ・ドント・ウォナ・ノウ
- オルウェイズ・オン・ユア・サイド
- ホエア・ハズ・オール・ザ・ラヴ・ゴーン
- ワイルドフラワー(アコースティック・ヴァージョン)
- ホエア・ハズ・オール・ザ・ラヴ・ゴーン(アコースティック・ヴァージョン)
- レター・トゥ・ゴッド(アコースティック・ヴァージョン)
- ディトアーズ - Detours (2008年)
- 100マイルズ・フロム・メンフィス - 100 Miles from Memphis (2010年)
外部リンク[]
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